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里山便り

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私、施主になりました!(3-2)

3-2 キッチン2

〇シンク

 シンク(流し台)の水道設備もガスレンジ同様に新しくなっている。水栓は色々改良されている。機能だけでなくデザインも多様だ。デザインには興味のない私は今まで機能が改良されているのに気付くことができなかった。自分に合った物を選ぶこともできるので時間を作り検討してみるのも良いと思う。まだ新しい水栓に慣れていないため、食器やお鍋をぶつけてしまうことがあるが、使いやすくなっている。パッキングなどどうなっているのであろうか。これから事ある毎にマニュアルを調べる段階である。

 2015年築のマンションにはディスポーザーが付いていた。残念ながら私は使いこなすことはできなかった。ついコーナーに生ゴミを集めてゴミ収集に出していた。長年の行動はなかなか変更できないものとあきれた。若い方は使いこなしているのであろうか。聞いてみたいが、そのチャンスはなかなかない。1週間に1度程度は掃除のためにマニュアル通り氷を入れて作動させていたのは笑ってしまう。一戸建ての家では、ディスポーザーは無しとした。現状ではディスポーザーを付けたらろ過機を管理するのも一軒でやらなくてはいけないのだろう。

 排水口も変化している。シンクの水が流れやすい形状になっている。水の流れがスムーズで掃除のし易さなど知らず知らずのうちに便利になっている。

 キッチンの物入れに関しても新しくなっていてびっくりした。長年ただの空間だと思っていたシンク下やガス台下は作り付け家具など大いに便利になっていた。

 それに加え、母の家を片付けた経験からなるべく物を持たずに生活したいと考えた。物を捨てるのは難しい。しかし持ち物の量を少し縮小すると、同じ空間が有効に広く使えることを体験した。そこで使わない物は捨てることを心掛けて、キッチンの中はだいぶ動きやすくなった。断捨離という考え方が流行っているが見習うのも生活改善になると思う。
(続く)

  • 2018.03.13
  • 田中

私、施主になりました!(3-1)

3 家の機能

 家の機能について話してみたい。建築の素人が体験の中から考えたことであることをお断りしておく。

3-1 キッチン1

〇キッチンの場所

 家にとってキッチンは中心である。衣食住の食を担う重要な所である。認知症になっていた母のキッチンは機能していなかったが、ここではその話は止めておく。

 30年程前はキッチンが独立していた。リビング(居間)とは別の部屋であったが、現在の家はリビングダイニングという言葉のように一つの大きな空間から成り立つ場合が多い。独立したキッチンから、ダイニングキッチンへと食事のできる空間へ。食器の受け渡し窓口が大きくなり、キッチンをリビング内に取り込み、アイランドキッチンにしたりと変遷があったようだ。他人の家を簡単には見せてもらえないが、新しいマンションの間取り図や建て売り住宅の間取り図を見ると、大きな空間を作りリビングダイニングにしている。中古住宅の間取り図では独立したキッチンを見かけるので、時代と共に設計が変化してきたのは確かではないだろうか。

 キッチンセットの置き方はキッチンの考え方に付随して変わるのだろう。10年ほど前、アイランド型のキッチンを見てモデルルームのようだと感心したことがある。2年程住んだ2015年築のマンションはキッチンがリビングの一部になっており、レンジ部分のみ壁で仕切られていた。水回り部分がオープンになっていて、食器の受け渡しができる物であった。高めのイスを持ってくれば、ちょっとしたカウンタテーブルにもできた。引越し前後重宝した。東京のマンションは建物の奥行きがあるが、窓の無い部屋を作るより広いリビングを作る方が良いのかもしれない。

 マンションではレンジ上部のファンにより排気している。たぶん室外まで長い煙突のような空間が天井あるいは壁にあるのだろう。ファンのスイッチを入れると、吸気口が連動して開くのであるが、リビングの窓付近で急に音がしてびっくりしたものである。2015年築のマンションのキッチンが気に入り、一戸建てでも類似の設備にしてもらった。吸気口はキッチンセットのすぐ側にあるので驚くこともなく快適である。そしてマンションと違い写真のようにコーナーの奥に窓があるのはうれしい。

2017年築のガスレンジとその横の窓

2017年築のガスレンジとその横の窓

〇ガスの設備

 ガスの設備はこの半世紀大変に進化していた。特にレンジは高齢者が消し忘れても消化するようにできている。母は20年程前にレンジを買い換えたことがあった。もしかしたらこの機能に救われたのではないかと思う節がある。

 使える物、動いているものは大切に使おうという方針で私は生活し、家族は器用に物を直して使ってきた。しかし新しいガスレンジのスイッチの入れ方が解らず恥ずかしい思いをしたことがあった。いろいろ思い出すと、興味を持って検討しておいた方が良かったのかと今更ながら思うが、だれも教えてくれないし、他の人の使っている物を見る機会も少ない。

 ガスの点検の方は器具を勧める訳にはいかないと思うが、もう少し情報を提供してくれても良かったのにと思う。母は新しい物好きでもあり消火機能付きのレンジに買い替えて使っていてくれた訳であるが、それは無駄ではなかったと感謝している。
(続く)

  • 2018.03.12
  • 田中

私、施主になりました!(2-2)

2-2家の平面図考~土地で家の形は決まる?

 ある土地に家を建てる場合を考えてみる。私の場合実家の建て直しをしなければならない状況に陥ったわけであった。建築士の義弟に家の設計を頼み、初めて設計図の水平投影の図を見て、壊した古い家とあまり変わらないことに気付いた。それから2年近くの時間をかけて設計図は改良されていった。その過程でいろいろなことがわかった。

 2016年春頃東京都世田谷区の赤堤、桜上水、上北沢辺りでは家の解体と建築、建売の販売が盛んであった。2018年の今日も変わらずに続いている。販売土地面積はだいたい20から30坪という小面積で、ほとんどの家は7,000万円くらいの価格で売買されることが多い。個人の家として売るためにはこの規模になると理解できた。実家の土地は狭小住宅と言える小面積の20坪程度で既に50年前に小さくなっていたのだった。(写真1)

上北沢には見事な3階建ての家が並んでいる。(2018年2月撮影)

上北沢には見事な3階建ての家が並んでいる。(2018年2月撮影)

 ちなみに都心から遠くなるほどそして最寄り駅から遠くなるほど土地の単価は安くなる傾向がある。何か特別の条件があれば違ってくる可能性はあるが。新しく家や土地を購入する場合には、地域を探すことから始めるが、ここでは地域が決まっていた私の場合について話を進める。

 次に東京だけでなくいろいろな地域で、建築士や工務店の大工さんとお話すると、できる限り大きな家を建てることが使命と思っていると聞く。その場合予算との相談になってくる。世帯の人数が減少し少なくなれば小さな家で済むはずと考えられるが、土地に余裕があれば大きな家を建てようとを考えるということである。広い家志向は本当に必要なのか、21世紀の消費者すなわち施主のニーズは変化していても良いのではないかと個人的に考えているが少数意見であろうか。

 小面積の土地の建築の場合、具体的な土地が決まってしまえば建てられる家はおのずと決まるようだ。該当する自治体の法律の規制に従って家を設計しなければならない。従わねば建築確認申請に対する許可が得られないとのことである。まず建蔽率と容積率がある。これは接している道路の幅にも関係する。私の場合には、建蔽率60%、容積率160%であった。さらに道路とどの方角で接しているのかによって日照の規制がある。

 建物の形は土地が決まれば土地の形によって決まり、細長い土地には細長く、正方形に近ければ正方形に近くなる。小面積の場合、面積に余裕があることは期待できない現実があった。実際の設計段階で、容積率の残り(1m2未満のこと)が有るがこれでいいですねとの建築士の言葉が記憶に残っている。そして建物の地面に接する水平投影図の形が以前の家とあまり変わりないことを納得した。これしかないのだと理解した訳である。

 建売住宅の場合には以前の持ち主の土地を3分割、4分割して家を建てて売り出している。既述のように20から30坪の広さにすると、同じような間取りになっている。あまり変化がつけかれないのかもしれない。(写真2)

最近売り出されていた建売住宅(値段は不明)(2018年2月撮影)

最近売り出されていた建売住宅(値段は不明)(2018年2月撮影)

 ところで20年以上前隣地の建て替え時に世田谷区へ相談すると、「お宅は北側が道路なので3階館の家を建てなさい」と言われたが、当時は建替える気もなく聞き流していた。しかし素人の私は勝手に3階が建てられることはビルのような寸胴な3階をイメージしていた。容積率160%では建蔽率60%の3倍にならず素直な3階が建てられない。イメージが合わず初めはがっかりしてしまった。素人は話を聞いても意味を正確には理解できないものだと思う。

 北側斜線制限、絶対高さ制限など素人には解りにくいたくさんの法律をクリアする設計図を建築士の先生は作ってくれる。区によって地域によって法律は異なり、それによって地域の景観ができていることがわかった。2015年まで住んでいた八王子市では建蔽率容積率が40%80%の住宅地があり各家のお庭が広くとても閑静ですてきな街並みであった。法律は町の雰囲気に影響するのだと納得した。

 初めから考えると2年近く、また頻繁に話のやり取りをして1年近くと時間がかかったが、2016年秋に出来上がった設計図を見て感心した。キッチンはミニキッチンを含め2つ、トイレは3つ、お風呂は1つ。既に述べたように建物の図面の形は土地の形に関係してあまり自由度はないが、上手く配置されていた。後でわかったことであるが、まだ設計図の段階では素人の私には未だその素晴らしさはわかっていなかった。

 その後、資金と相談して期待を込めて実際の建築へと進んだ。施主としては心許ない私であったが、関係する方々が楽しく建てられる家になって欲しいと願っていた。

 次にはいよいよ具体的な家の機能について話を進める。

  • 2018.03.08
  • 田中

「レーザセンシングによるICTスマート精密林業in東京」に行ってきました。

 2018年2月27日、東京の都道府県会館で行われた「レーザセンシングによるICTスマート精密林業in東京」に行ってきました。フィンランド・日本合同シンポジウムとのことで、北欧の進んでいる森林レーザ計測研究について、ユハ・ヒッパ先生の基調講演に始まり、フィンランドとスウェーデンでのレーザセンシング技術を活用した精密林業の紹介、北欧の森林内でのモバイルレーザ計測の実情について拝聴できました。日本語の同時通訳がありとても分かりやすい内容でした。

 後半は、スマート林業「長野モデル」についてでした。信州大学教授の加藤正人先生の「長野モデルとドローンレーザによる間伐支援」とのテーマで、加藤先生がどのような経緯で北欧のレーザセンシング技術を日本に導入しているのかと、日本の長野県の森林に合わせた長野モデルをわかりやすく紹介なさいました。現場での活用については、北信州森林組合の堀澤正彦氏が「現場レベルでの精密林業とサプライチェーン」とのテーマで、地域の資源管理とその活用について話されました。同森林組合の南都寛氏はIoTハーベスタの特徴とその可能性を動画で説明しました。アジア航測の大野勝正氏は「航空レーザ計測とALANDIS」と題して、航空レーザ測量の現状と可能性について報告しました。最後の講演では、中信森林管理署の岩塚信人氏が「奈良井国有林での収穫調査へのICTドローン活用」について話されました。その後講演者によるパネルディスカッションという内容で、盛りだくさんで有意義な内容に集まった聴衆は感心して聞いていました。

 堀澤氏は「林業は流通時代入り」、地域森林の資源管理が可能になる中、「森林を流通倉庫へ」との提案がありました。以前から同様に考えていたため、上手く長野モデルとして進めていただきたいと思います。

 学生でもドローンを活用した研究を行える時代になっています。「まずは使ってみて下さい」というのが多くのパネラーの方の助言でした。

 最後にパネラーがそれぞれの夢を語られましたが、南都氏が「まわりの手入れの遅れた森林を元気にしたい」と語ったのには思わず拍手を送りました。

 長野モデルによって、長期計画を立て資源を有効活用するためのデータ活用ができるようになりますが、研究レベルではなく現場で実際に使えるものとして普及することを期待しています。

 興味のある方は是非調べてみて下さい。

  • 2018.03.08
  • 田中

私、施主になりました!(2-1)

2.場所、平面図

2-1場所についてと気付いた実家の良さ

 「どこに住むのか」という選択は難しい。子供の頃は親が勝手に決めていると思っていたが、大人になり自由度が高まるとその選択は難問である。住んでみなければわからないことがたくさんあるからではないか。偶然自分に合った地域に住んでいる場合、あまり引っ越すことを考えない。私は個人的に職場が遠くなければ引越しの手間よりもそのまま住み続けることを選択してきたように思う。そのような意味で日本国内では不満のある人は少ないのではないだろうか。

 元来私は自然豊かな地域に住みたいと思っていた。しかし仕事や子供の学校、2軒の実家との距離を考慮して場所を選択し、東京の世田谷区に住んでいた。家族が単身赴任し、子供たちが巣立ち私ひとりになった頃、近くに住む母が元気な間に、私の住みたい地を探してみる冒険に出ることにした。2005年のことであった。自分が年を取ってからではできないと考えたのであった。

 1991年から東京都八王子市の拓殖大学八王子キャンパスが仕事場の一つであった。(写真1)四季折々のその自然環境の良さを感じていた。八王子市のグリーンヒル寺田は近くの法政大学多摩キャンパス(町田市)までのバス便が十分にある。個人的に省エネ生活をしたいと自動車の無い生活をしてきたが、車が無くても仕事に通えることを知り見学に行った。知人ふたりがそれぞれ長年住民であることも安心の材料であった。

写真1.拓殖大学八王子キャンパス

拓殖大学八王子キャンパス

東京都八王子市グリーンヒル寺田

東京都八王子市グリーンヒル寺田

 グリーンヒル寺田の自然環境はすばらしく、庭があり98m2の2階建てRC構造の住宅を見学した。当時築25年ほどの物件が1590万円。気に入り前向きに購入を考えた。そして2人の母が元気なうちにやりたいことをやっておこうと引越しに踏み切った。2006年から9年間住むことになった。母たちは不安だったかもしれないが、良い経験をさせてもらった。(写真2)

 私の母は「東京の軽井沢だ」と言っていたが、私にとっては木を植え、植物を育てる庭いじりや、山の中のハイキングのような家の周りの歩道の散策を楽しむことができた。冬の寒さは世田谷よりも3度ほど低いと言われた通りの寒さだったが、夏にはエアコンの要らない涼しさだった。

 ところが8年程経つと、ケヤキや雑木の多かった緑地も、木が伐られ宅地開発が進んだ。そして夏の暑さが厳しくなった気がした。地球全体の異常気象もあるのだろう。しかし、ローカルな環境も独自に変化していると感じた。

 時間に余裕が持てるようになり、自分の理想を求めて移住するのも人としての権利ではないかと今も考えている。しかし、住みたい環境を求めてもいつまでも同じではないことがわかった。また個々の人間の方も年齢によって求める条件が私の様に変わって行くものかもしれない。

 今回の建築は実家の地ということで、初めから決まっていた訳であるが、実家の地には良いところがある。それは良い意味でも悪い意味でも地元を身体の中から知っているということだ。「大出戻りハウス」(だいでもどりはうす)と家族には言われているが、引越ししたその日から私はご近所やその地域に慣れていたので驚いた。自分の家だけでなく周りの家も以前とは違っているが全く違和感がない。これは歳をとってからありがたいことである。家族には申し訳ないのでいろいろと教えてあげなくてはと思う。

 このような経験と人生が長くなったことから、次のような考えに至った。許されるなら若い時には状況に合わせ自分の好きな住環境を求めて移動し、歳をとってからは知っている地に落ち着くのも良い事かもしれないと。

  • 2018.02.28
  • 田中

私、施主になりました!(1-2)

1-2.2世帯住宅・3階建て!!!
 遡って2013年秋、母はひとり暮らしでいるがいつまでもは無理であろうと考え、それまで全く家の建築を考えたことは無かったが、2世帯住宅に建て直そうと考え始めた。しかし84歳だった母は自分からは動けない。しかしこのままでは10年後まで家が持たないと考え、何かきっかけがあれば動く前提で考えることにしていた。
 義弟が建築士であり、狭い家作りに慣れていることも心強く、相談に乗ってもらったのが2014年2月であった。調べてみると、北側4m道路に面しているが、20坪の狭い土地である。現地を見てもらうと地盤も問題があるかもしれないとの指摘があった。
 以前南側の家の建替えの時、世田谷区に相談すると、「お宅は3階建てが可能であなたが3階建ての家を建てなさい」と言われて母を我慢させたが、そのことを私は思い出した。2014年当時の基本的な考えは次のようなものであった。
1.母が10年でも20年でもひとりで住める家にする。(先は不明のため)
2.2世帯住宅として、子供世代は子供が独り立ちした後の夫婦2人の住まいとし、必要な時に対応でき、常時は別々に心置きなく生活できるようにする。(20年後の1階住民は自分達の世代かもしれない)
3.親世帯は1階+2階の寝室、若い世帯は2階の残りと3階とし、玄関も別々とする。(後に変更した)
4.西川林業(埼玉県飯能市)の木材を使いたい。(私の希望だったが、叶わなかった)
この基本方針から、トイレ、風呂、キッチンなどの設備を2重にすることを考えた。
 土地に合わせて考えると、無理なことであるが、考える基本となる図面を作成してもらい、私たち夫婦2人でいろいろ考えていた。なかなか進まなかった。
 具体的でない時は、義弟もあまり乗り気でなかったようで、建築の工事の仕事は他の人に引き継ぐことを考えていると言われていた。それも仕方ないと考えていた。

 2015年3月状況は急変した。母の出た家の傾きのひどさを認識し、古い家の典型であり、周りの住民が気付く前に壊さなければならないことが私たち姉妹の課題となった。既述のように壊すにはごみ屋敷を整理しなければならない。壊すのは何のためか。その後どうするか。家を売りたくても条件が厳しい。誰がやるのか。いろいろな意味で余力のある人はいない。だとしたら前向きに建て直すしかないではないか。

 母が高齢者住宅の生活に落ち着くように看ながら建て替えの話を進めた。2015年5月現地の測量・地盤調査が行われ、建築士は解体業者と打合せをしていた。その結果を持って、建築士の義弟は6月八王子市(当時の住まい)の我が家に来訪、約4時間話を聞いた。いろいろなことがわかった。
 東京の世田谷とは言え、現地20坪の土地は狭小住宅(狭隘住宅)という規模、北側は4m道路で、建蔽率と容積率はそれぞれ60%、160%という。30坪そこそこ(100m2)の家になる。狭い。3階建ての場合には強度計算も必要になると法律で決められている。天然乾燥の柱材を使った戸建住宅が私の理想であったが、強度計算に見合う無垢材では梁などで太い材が必要になり、生活空間を確保するには集成材を使う方が得策とのことであった。狭小住宅の場合、構造材に無垢の木を使うことは難しいこととわかった。

 今まで、木に囲まれた住環境の良さを多くの方に知ってもらいたい、手に入れてもらいたいと研究を続けてきた。そのひとつが木材トレーサビリティシステムの研究である。しかし、いざ自分の住環境を考えねばならない時、その考えの実行がままならないことを思い知らされたのであった。実家を出てからそれまでの私は集合住宅に暮し、内装や家具に木材でできた物を多く活用して満足しようとしてきたのだった。
 ところで、内装に木を使うには、構造材を木にした木造住宅が良いと多くの専門家は話している。しかし東京では集合住宅が多い現実がある。また構造材を木にしても内装は価格の点からビニルクロスを選ぶということも多くの地域で聞いている。
 最近の住環境は空調の利かせ方が激しく、木材にとっては過乾燥から狂いを生じることが問題になる。木材の乾燥を十分に行うことが大切とされている。その一方で、木材には湿度の平準化や温度環境の安定化など生活空間の自然のコントロールの良さがあり、過ごしやすい環境を提供してくれると言われている。その上、触感や色合いや匂いによって癒しややすらぎの空間を提供してくれることが、最近の研究成果によって示されてきている。木材を取り入れた良い環境を作ることには様々な矛盾と課題があるが、これからは内装材と構造材を分けて考える必要性を感じている。
 話を戻し、3階建ての場合に強度計算の必要性を考えると、東京では土地が狭く、どれだけの新築住宅が無垢の木造住宅を受け入れることができるのだろうか。

 母の転居から建築の話が具体的になり、義弟が建築についても引き受ける気になってくれたことから、義弟に任せることにした。母を預けているとは言っても母の面倒を見ることには変わりなく、高齢化社会の問題をかかえながらの建築となった。西川林業の方々には家の建築ではお世話にならなかった。お話だけして申し訳ないことをしてしまった。
(続く)

  • 2018.02.13
  • 田中

私、施主になりました!(1-1)

 家の建築をしたいと思ったことの無かった私が、実家の建替えをする羽目に陥りました。東京都世田谷区での2年以上の経験から改めて考えた家のことについて「私、施主になりました!」との題でしばらくお話します。建築については素人です。それを前提にお読みいただきたくお願いします。
1.はじめに~経緯
2.場所、間取り
3.機能(設備:キッチン、浴室、洗面所、洗濯機置き場、トイレ)
4.構造材と屋根、柱、耐震強度
5.収納の考え方の変化(ロフト)
6.居室について(天井、壁、床、窓、建具)
7.意匠(デザイン)外見と外構
の順に進めて行きます。

1.はじめに~経緯
1-1.家が傾いている!!!(2015年のこと)
 数年前から世田谷区上北沢にある実家に行くと傾いているように感じていた。母が長年ひとりで暮している家であった。母は瓦の屋根がずっと念願だったようで、築40年を過ぎた家に9年程前瓦を載せてしまった。私が実家近くの桜上水から八王子へ引っ越したのをこれ幸いにとトタンの屋根の上にスレート瓦を載せる工事をしてしまった。それまで家にとって良くないからと反対していた私がいなくなったので近くのA工業と進めてしまったのだった。それから実家に行くと傾いているような感覚が増していったように思う。
 2011年3月11日東日本大震災が起こった。母はひとりでいた。とても揺れた。怖かった。とやっと電話が通じた時に泣いて話していた。電話がなかなか通じないこと、母だけが怖い思いをしたのではないことなど、他人を気遣う余裕も既になくしていた。二人姉妹の私達は家の傾きに本人が気づかないなら本人の思いどおり一人暮らしを続けさせてあげようと考えていた。
 2015年1月半ば、ケアマネージャーのMさんと月に1度の話合いに実家に行った。いろいろあって、2014年10月から母はディサービスにお世話になっていた。母の家は整理もされていず、慌てて1階の居間だけは片付けてクリーナーをかけ3人でのお話合いができた。2日程前妹が片付けたはずがめちゃくちゃであった。
 その後、私は母の家に行かれなくなった。考えただけでも気分が悪くなるのだ。はじめは理由がわからなかったが、2週間くらい後で2つ原因があることに気付いた。
 原因のひとつは整理整頓とほど遠い状態で、足の踏み場もないごみ屋敷であること。ふたつめの原因は家が傾いていること。ごみ屋敷については3,4年の間妹と二人でいろいろ片付けに行っていた。賞味期限切れの乾物を捨てたり、冷蔵庫の掃除をしたりである。しかしその度にごみが元の状態に戻ってしまい、やってもやっても元の木阿弥。家の中に居どころもなく気分が悪くなるのは当然であった。母は認知症であった。
 家の傾きについては、私が敏感な所為かと我慢してきたのだが、それも限界になっていたようだ。人によって我慢の程度が違うのかと考え、母が大丈夫なら言うのは止めようと妹と考えていた。
 2015年3月2日ディサービスの方に脳梗塞でふらふらしている母を助けていただいた。ディサービス先で救急車を呼び関東中央病院へ入院したのだった。奇跡的に5日後退院した。主治医からは「家に戻して一人暮らしをさせてはいけない」と強く言われ、いろいろな方のお世話になったが、ケア付き高齢者マンションに退院と同日に入居させることができた。医者は傾いた家に住んでいることは知らず、一人暮らしが病気の原因と考えたようだ。認知症は問題である。母は以前に比べるときちんと食事を採る生活になり、入居2ヶ月半後には以前は感じなくなっていた空腹感を覚えるようになっていた。それも問題を起こすがここでは触れない。
 そして家であるが、傾きがひどいことが明らかになった。ぎっしり家の中に入っていた家具をいくつか粗大ごみに出し、長年のカルチャーで楽しんだコーラスの楽譜や書道の和紙を容赦なく資源ごみに出し、床が見えるようにして水準器で測定するとひどいことになっていた。重りをつけた糸を垂らすと柱が垂直でなくねじれていることも解り、予想以上の有様に呆然となった。ある程度は予想していたのだが、家が傾くなどということは自分には関係ないとの認識外のことであった。
 築50年仕方無いのか、いくつかの原因を素人ながら私たちは考えた。
1)増築したこと:車庫の端に鉄骨を立て、2階を増築し、中2階に物入れの空間を確保し本や着物などをしまっておいた。重量に耐えかねたのかもしれない。
2)車庫の下に既に使用していない浄化槽の空間がそのままに残っていた。どうなっているのか不明であった。
3)屋根に瓦を載せてしまった。土台や柱のことも考えず、築40年を過ぎてから軽いからとスレート瓦を載せた。バランスが崩れたのではないだろうか。
4)東日本大震災に見舞われ、かなり揺れたこと。また周りの家の中で最も古い家になっていることは、取り壊しや建築の時に少なからず影響があったことだろう。4階建てのビルもある。2014年ごろから30m位離れた都営住宅では建替えが行われ、最後の道路工事でもかなりの振動があった。
 そして、専門家には、
5)基礎工事が不十分である可能性がある。
と指摘された。1965年頃の建築では仕方ないようである。
 そこで、ご近所の方が傾いていることにまだ気づいていないうちに取り壊すことに決めた。心配は台風が来たり、地震が起きたりして倒壊したらどうしようということであった。2015年春は珍しいことに東京でも台風が何度もかすめて行ったためとても心配した。専門家の建築士や解体業者の方は簡単には倒れませんと話してくれたのは心強かった。しかし空き家問題についての法律ができた時期でもあり、ごみ屋敷の整理を急いだが、家のゴミアレルギーになりながら、その年の秋まで続いたのであった。
(続く)

  • 2018.02.11
  • 田中

農林水産祭の天皇杯受賞者から学ぶ(5)

 最後にその他の項目について紹介します。

項目6)海外への輸出を視野に入れると第3者機関の認証を必要とすること。

 日本の農林水産物の輸出の事例が見られます。そして多くの分野で拡大しようとしています。相手が日本人の場合には安全性を特に強調しなくても信用して購入してもらえました。それに対し、海外では消費者が日本の状況についてわからないため安全性を証明する必要があります。輸出に備え第3者による認証を考えることが必要です。現在はトレーサビリティの証明を出すなどの対応をしている組織が出てきています。

項目7)生産工程の高度なシステム化が進められていること。

 生産工程について機械化が進み、商品生産のトレーサビリティなどの情報付加が進むと、その延長として生産工程のシステム化が必然的に出てきます。規模が拡大すると、問題が発生した時個々に対処する体制では生産工程全体に支障をきたす場合もあります。生産工程管理の機能を併せ持つ高度なシステム化が進められています。

 特に農地の生産について、肥料や水に加えて病虫害や農薬散布、収穫の質や量の情報管理は向上しています。他分野においても今後活用されると期待されます。その場合、「モニタリング」が重要です。自然の力を引き出す農林水産業は気象などの生産物への影響を常に見ていることが重要です。それに適宜対処していくことで質の良い商品を安定して量産できるようになるでしょう。

 農産部門の天皇杯受賞者の愛知県弥富市有限会社鍋八農産はトヨタ自動車と共同開発した農作業管理ICTツール「豊作計画」を導入しています。

最後に、木材と森林に応用したい。

 農林水産業は多くの分野に分かれていますが、森林地域は苦境に立たされて久しいと言えます。他分野の良いところを取り入れて、21世紀の森林地域の産業を盛り立てて行きたいものです。

                      (農林水産祭終わり)

  • 2017.12.18
  • 田中

農林水産祭の天皇杯受賞者から学ぶ(4)

項目5)地域の協力とそれを引き出すリーダーがいること。

 農林水産祭の受賞者は個人で努力するだけでなく、継続的な経営、そして他者への普及効果を期待されています。

 個人経営の場合、良い物を作ることで個人としての技量を高め維持し、農林水産祭参加行事において農林水産大臣賞に輝きます。それは素晴らしいことであり、消費者にとって間接的に恩恵のあることです。その生産者から生産物を直接購入した場合、生産者が受賞者であることを消費者が知れば消費者はその幸運を認識できます。生産者から消費者までの流通を考え見える化することは商品のトレーサビリティ導入目的のひとつですが、消費者に有用な情報を伝えることができます。そして消費活動に影響を与え拡大を図ることができます。

 一方地域産業の発展としては、長期的な視点が必要です。それは生産者から消費者までの流通全体を通し考えることです。途中まででは、川下の消費者の状態が把握できずに変化への対応が遅れたり、ニーズ発掘の機会を捉えることができなかったりします。

 農林水産業での「6次産業化」は生産、加工、流通、販売までの全体を見通すことができるようにすることです。新しい商品の開発やブランドの創成を図っている例があります。「商品化」、「ブランド化」は消費者に接することで考案でき、6次産業化への推進が行われます。生産工程により異なる技術や能力が必要なため分業が進んだことも多く、改めての全体思考の導入は容易ではありません。そのためには個人ではなく大勢が集まり各自の得意とする能力を生かすことが重要と考えられます。

 「大勢が協力すること」は地域の強みになりますがこれが難問です。それには「上手なリーダー」を必要とします。リーダーは将来についても自分のこととして責任ある行動のできる人でなくてはならず、地元の人であることが重要です。公務員の場合担当が変わることが予想されます。また遠方から来たコンサルタント会社等の組織は仕事の資金が尽きれば離れて行ってしまいます。逆にUターンに加え、Jターン、Iターンの地元に入ってきた人材は出身が地元ではなくても将来のリーダーとしての資格はあると考えることができます。そのような人は地元の良さや強みに気付いてくれる可能性があります。

 優れたリーダーは本人の素質と周囲の理解や協力によって出てきます。受賞された組織には優れたリーダーの長期間の活躍が見られます。また組織の法人化が各地で勧められています。法人化した組織による活動は地域協力を促し、さらに社会的な活動に広げることができます。これについては女性のみの組合が法人化したことで社会的に認められた実例があります。

 それは女性の活躍の分野での日本農林漁業振興会会長賞を受賞された大分県日田市の農事組合法人畦道グループ食品加工組合です。

 

(事例)大分県日田市の農事組合法人畦道グループ食品加工組合

 40年程前の1977年に40~50歳代の女性農業者14名は生活改善グループ『畦道グループ』を結成しました。そして1980年におふくろの味である「かりんとう」の試作を開始しました。「『元気・勇気・根気』をモットーに『継続は力なり』を基本に地域食材を使った安全・安心な『手作り』加工品を提供」してきました。地域の女性たちの事情を考えて「家庭と企業活動を上手に運営すること」を『二足のわらじ』と表現していますが、皆で協力し合いながら、約40年間活動を続けてきました。1986年には、農事組合法人を設立しました。

 長年続いてきたのには、リーダーの力が大きいと考えられます。組合員が活動しやすいように皆の考えを引き出し、協力を促し続けた賜物だと考えられます。「事業展開の過程で、労働時間・休憩時間・時間給など労働条件を明確化し、労災保険・雇用保険・PL法対応保険など社会保障を整備」してきました。フレックスタイム制導入に加え、「組合員全員がかりんとうの全製造工程の把握及び全製造技術を習得し、」誰かが休んでも支障なく製造できる体制にしています。

 大分県の活動にも協力をして、地域の直売所を中心に様々なイベントにも出店し、「商品開発・製造に携わっている組合員が直接消費者と対面販売」を行っています。1990年にはシカゴ、2009年には上海の見本市にも出店しています。このように「かりんとう文化」を広めています。

 また2008年にはグループ構成員の世代交代が行われました。経営は7名の構成員に継承されました。農事組合法人畦道グループ食品加工組合は地域に根付いた法人と言えます。

 

 多くの受賞者に話を戻します。消費者に直接接触することによって「消費者へのアプローチ」やそのアイディアが浮かびます。6次産業化に積極的な経営者は「消費者ニーズの開拓」にも力を入れています。この活動は営業活動の一環と考えられます。

 さらに地域の社会活動を拡大し、「子供たちへの地域産業教育の場」を提供したり、講師となったりと地域の将来を担う世代の社会教育を担っている事例が多く見られます。活発な地域産業は直接に関係する人だけでなく、将来消費者となる地域の子供を含めた人々に食育を実施することで将来のニーズを掘り起こしています。

  • 2017.12.15
  • 田中

農林水産祭の天皇杯受賞者から学ぶ(3)

項目4)収支を考慮した経営をしていること。

 第1次産業は家族経営が多く、経営体としての経営収支をしっかりと把握しなくても継続してきました。家族経営の良さのひとつは少々の赤字が出ても家族で吸収する柔軟性があることですが、従業員を雇う規模になるとそれでは継続できなくなります。しかし長年続けてきた経営方針を変更することは難しいことです。

 近代経営は家族経営のあいまいな部分を明確に切り分けるところからその進化の度合いが見られます。第1次産業では家族例えば嫁の労働力を評価して、目に見える給料を出すところから個人の働きや効率が見えてきます。どの作業にどの位の時間がかかっているのか、人件費として妥当なのかなどの評価ができるようにします。また就業規則の整備などに発展していきます。

 受賞された経営はこの点が明確になっているものが多く参考になります。明確にしないと経営収支が見えず、経費の節減のための努力のしどころもつかめないことになります。長年家族経営に慣れている場合、あえて明確にせずのんびりと従来のやり方を続けることになり勝ちでした。

 第1次産業の産物の質の良さで審査される場合、農林水産大臣賞受賞の経営の出品した産物は素晴らしい物です。このことは間違いないことですが、経営についての規模は様々です。個人経営、家族経営で営々と良い物を目指して営んできた者がある一方、地域のことを考えて協力しながら結果的に拡大してきた経営者もあります。天皇杯の候補となる経営は地域産業のリーダーである場合が多いと言えます。

 もし規模の大きな企業が新しい地域に進出する場合には、すでに多様な機能を持ち地域外から必要な物を導入します。他方地域内にある経営が拡大する場合には、地域の他の経営者の協力を引き出し活動していくことが多く、その関係は互いにウィンウィンの関係でなければ長続きしないでしょう。そのためにも長年継続して経営するために収支をしっかり把握する必要があります。地域によって協力関係は工場のすみわけのような場合もあります。

 

 森林地域の場合、小面積の森林所有者が多い上粗放な経営であるため、多数の森林経営者は地域での協力なしには産業形成が難しいと言えます。大きな木材を扱う森林の場合は特に地域で協力し木材のカスケード利用を推進することで資源の効率的な活用ができます。それは1回1回の売買だけを考えるのではなく、持続的に産業が成り立つように協力していくことが重要と言えます。

 林産部門の天皇杯受賞者は鳥取県八頭郡八頭町の八頭中央森林組合です。組織や地域の収支を考えた経営をしている実例です。

                                              (続く)

  • 2017.11.20
  • 田中
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